流行との付き合い:本当に好きなものと“付き合いトーク”の境界線
私が退校したプログラミングのクラスでの話です。
クラスでは、よくアニメの話題が挙がっていました。
その会話を聞きながら、ふと感じたことがあります
「みんな、本当にこのアニメが好きで話しているのだろうか?」と。
ここには“協調のための空気感”を感じることがありました。
流行に乗ることで安心感を得たり、
周囲(ライバル)との調和を保つために話題を続けているような印象です。
私はその輪の中に馴染むことが難しく、
どこか違和感を覚えてしまいました。
会話に漂う“付き合い感”
話の内容から、本当に好きだから語り合っているというよりも、
「流行に乗れている自分」を見せるための会話
のように感じました。
話題に遅れないようにするため、
あるいはクラス全体との調和を保つために続けられるその会話。
私はその画一的な空気に馴染むことができませんでした。
もちろん、全ての人がそうだとは思いませんが、
このような状況が続くと、
自分が心から楽しめるコミュニケーションの場とは
少し違うと感じる瞬間がありました。
本当に好きなものを話すことの喜び
好きなものについて語るとき、
人は自然にその熱意やこだわりが伝わります。
本当に好きだからこそ語りたくなる、
そんな気持ちは純粋で心地よいものです。
しかし、「付き合い」のための会話では、
どうしても本心が見えにくく、
表面的な印象を受けることがあります。
それが流行の話題であっても、
無理して話を合わせる必要はないのではないか、と
私は感じました。
流行に左右されない自分らしさ
私は最近のアニメについてほとんど知らないので、
その話題には入ることができませんでした。
それでも無理して追いかけるのではなく、
自分の興味や好きなものを大切にしたいと思います。
流行に合わせること自体が悪いわけではありませんが、
自分の価値観や本当に好きなものを見失わないことが、
もっと大切だと感じています。
自分の好きなものを語り合う者たち
最近、X(旧Twitter)で見かけたこんな投稿を思い出しました。
銭湯で休憩室にいたお姉さんのタオルがコナンので思わず「それ限定のでは!?」言うたら「ああ、はい」て返事でそのまま離れてったから干渉されたくない人に絡んじゃったな…て反省してたら徐に瓶牛乳二本手に戻ってきて「何処まで…話せますか?」て覚悟決めた顔されたので好きな過去映画超語り合った
— HR1@ (@TReSeD) April 1, 2025
この投稿を読んだとき、
自然体で好きなものを語り合う喜びを改めて感じました🤣
流行や付き合いに左右されることなく、
本当に好きなものを共有する楽しさ。
それが私にとって心地よいコミュニケーションなのだと思います。
本当に、このポスト好き。